疲労ストレス計 MF100
全国の学校機関や教育委員会を対象に、ICT機器の活用のためのコンサルテーションを提供している株式会社エデュテクノロジー(以降「エデュテクノロジー」)。村田製作所(以降「ムラタ」)が展開する共創プロジェクト「KUMIHIMO Tech Camp with Murata」(以降「KUMIHIMO」)において、同社の「疲労ストレス計 MF100」(以降「疲労ストレス計」)を使った教育現場の疲労・ストレス度可視化の取り組みが、2023年度に採択されました。
今回の取り組みはKUMIHIMOによって、教育現場とアカデミア、企業であるムラタが三位一体となり実証実験を行うことに意味があります。エデュテクノロジー代表取締役の阪上吉宏氏と、実証試験にアカデミアの立場から参画した北里大学の武藤剛氏、そしてムラタで疲労ストレス計を担当する家邉徹が、教育現場の疲労・ストレス度可視化の活用に向けた共創の意義と展望を語り合いました。
※当製品は、医療機器ではありません。
――疲労ストレス計は2018年に製品化しています。あらためて当製品の特徴を教えてください。
家邉:本体を握ることにより、心拍間隔を光学式と電気式を併用してハイブリッドで取得できるデバイスです。ムラタの心拍・脈拍センサを実装しており、取得した心拍間隔の微妙な変動を、協業先である株式会社疲労科学研究所が保有するアルゴリズムで分析します。その上で多様な年代・業種から取った約20万人分のビッグデータで補正し、自律神経のバランスと偏差値という形で疲労・ストレス度を可視化します。安静にして目を閉じて楽しいことを考えるという統制を行いながら測定することで測定する人の状態を揃え、年齢差や性差を基準とした補正ができているため、エビデンスに基づいた疲労やストレス度の客観的な線引きができるのが特徴です。
武藤氏:目を閉じてリラックスした状態で座ったまま2分間で現在の疲労とストレス度を即時に可視化でき、リアルタイムに結果を把握できる点は大きな特徴です。両手指を用いることによる心臓電気的信号(心電図Ⅰ誘導)と脈波の同時測定で実現したハイブリッド方式の疲労ストレス計は、極めて正確かつ精密に心拍変動を測定するというムラタのセンシング技術と、比較基準となる疲労科学研究所の膨大な基礎データベースを根拠とするアルゴリズムの算出から結実した、非常に完成度の高いヘルスケア機器です。このデバイスの産業保健領域での活用法を見出していく必要性を感じています。
――今回のKUMIHIMOでは、この疲労ストレス計で教職員の疲労・ストレス度を計測しています。まずは、エデュテクノロジーさんと共創することになった背景をお聞かせください。
家邉:疲労ストレス計の認知度を拡大できないか策を練っていたときに、疲労やストレスの引き金となる寝不足が子どもたちの間で頻発していると聞きました。塾通いや習い事で忙しいために、そうした状況に陥っているとのことです。そこで、測定のターゲットを子どもたちとし、教育現場に関係のある企業さまにKUMIHIMOをご紹介していたところ、2023年にエデュテクノロジーさんとつながりができたのが始まりです。
エデュテクノロジーさんは「子どもたちよりも先生方のストレスを可視化するほうが役立つのでは」とご提案くださいました。確かに先生方は、「子どもたちのために」という強い情熱をお持ちで、使命感から過剰な負担を抱えやすい傾向があります。ご自身が感じている疲れと実際にかかっているストレスの差異は、数値化することで明白にできます。心身の疲れのバランスを疲労ストレス計で測り、不調を感じる前に学校現場で事前対策ができるよう役立てていただきたく、エデュテクノロジーさんのご提案に賛同させていただきました。
――阪上さんは教育現場の現状をどのようにお考えですか。
阪上氏:2019年に開始した文部科学省の「GIGAスクール構想」によって、学校におけるICT環境は様変わりしました。児童・生徒「一人一台」端末や通信環境の整備など、日本の教育インフラは世界的にも先進的な水準です。ただ、新しいテクノロジーを学習に適応させていくことは簡単ではありません。現場の先生方は日々、試行錯誤を繰り返されているのではないでしょうか。
また、現在は子どもの人口減によって1校あたりの児童・生徒数が如実に減ってきています。これにより、特に地方では1校あたりの教員数削減が始まっているように見受けられます。しかし、教員数が減っても先生方が担う業務量は変わりません。
こうした状況下で先生方にかかる疲労やストレスは決して少なくないでしょう。それらを客観的に計測して現場改善の説得材料にできないか考えていたところ、KUMIHIMOによる共創のチャンスをいただけました。先生方が心身の健康を保つための施策を打つ第一歩だと感じましたし、非常にありがたかったですね。
――武藤先生とはどのような経緯で一緒に取り組むことになったのでしょうか。
家邉:エデュテクノロジーさんとの取り組みが始まってから1年後くらいでしょうか。取得したデータを分析するためにアカデミアの視点が不可欠だと思っていた矢先に、武藤先生から疲労・ストレス度の可視化についてご相談をいただきました。労働安全や産業衛生の観点からストレス度や疲労の計測に取り組んでおられる先生の力をお借りしたいと思案していたところだったので、本当にタイミングが良かったと感じています。KUMIHIMOを起点に、業種も職種もまったく違う三者が結びつき、教育現場に一石を投じ得る取り組みを始めることができました。
武藤氏:私はムラタの横浜事業所と、当時、ムラタの子会社であったムラタエレクトロニクスの産業医を担当していました。かつて産業医として従業員の健康管理を担い、職場巡視で開発現場を目にしていた会社で製品開発された疲労ストレス計がリリースされたと知り、ぜひ産業衛生とITヘルスケアの両領域の観点から実装展開に向けた連携をさせてほしいと産業保健職に相談しました。疲労ストレス計のようなデバイスでなければ、疲労・ストレス度の正確かつリアルタイムの客観評価は困難です。KUMIHIMOがあったからこそ、こうして複数の企業・団体が共通の目的のために協働し、より科学的エビデンスに基づいた研究を進行できているため、このようなご縁をいただけて光栄に思っています。
KUMIHIMOの実証実験で得たデータを基にした第1報は、共同研究者であり、職域メンタルヘルスに造詣が深い産業医科大学の井上彰臣先生と共に、2025年11月日本産業ストレス学会で発表しました*1。報告ではムラタとエデュテクノロジーとの共同試験であると明記し、職域のストレスマネジメントと改善活動の専門家集団から構成される学会会場で大きな反響を呼び、さらなる展開への感触を得ています。
*1 第33回日本産業ストレス学会「心拍変動解析による疲労・ストレス間接的定量評価法の職域での活用の検討」武藤剛(北里大学医学部衛生学)、大森由紀(北里大学医学部衛生学)、井上彰臣(産業医科大学IR推進センター)
――実際の教育現場における疲労・ストレス度計測はいかがでしたか。
阪上氏:先生方には始業前と終業後に測定をお願いしていました。当初の測定時間は2分でしたが、その数分も先生方にとっては無駄にできないお時間です。そのため、ムラタさんに相談し、十分に信頼できる測定値が得られる90秒の測定時間で実施することができました。
武藤氏:裏を返せば、時間に追われる先生方だからこそ疲労ストレス計のように容易かつ短時間で確実測定できるデバイスが有効になるわけです。
疲労・ストレスの測定には、毎回、正確な手法と同じ条件下で継続していくことが大切です。疲労やストレスを可視化できるとうたう市販製品を最近よく見かけますが、何を基準に“元気”“不調”としているかエビデンスを取れていないものが多い感覚です。こうしたデバイスで肝心なのは「基となるデータが積み上げられているか」「現場でどれくらい使われているか」の2点でしょう。
今回、実際に教育現場で疲労ストレス計による測定を実施し、先生方のメンタルヘルスケアの一つの方法としてセルフケアや職場環境改善に活用するという事例を生み出すことができました。“ストレス計測器の試験的導入”という一つの壁は超えることができたので、将来的には「前例があるなら我が校でも実施したい」という学校も増えるのではと見込んでいます。そうして実施できる学校数を増やしていければ、教育現場のメンタルヘルス対策の強力なデジタルツールとして、疲労ストレス計は必ず普及していくはずです。
家邉:教育現場でのストレス可視化は簡単なことではありませんが、疲労ストレス計を活用していただき、できる限り簡便に疲れやストレス度を測定できるようにしてきたいですね。
――疲労ストレス計はすで販売されている製品です。KUMIHIMOでは、ムラタの部品を用いて新たな製品やソリューションを生み出そうとする企業との共創プロジェクトが採択されるケースが多く、その点はこれまでのプロジェクトと毛色が違うように感じました。
家邉:医療・ヘルスケア事業では医療関係者や研究者、さまざまな医療関係企業などとの協働が必須です。特に我々は医療機器メーカーとして後発でもありますし、外部の高度な知見やノウハウを持つ企業や専門家と共に取り組まない限り、付加価値の高い製品・サービスは提供できません。
――用いるものが完成品でも部品でも、共に取り組むことの意味は変わらないということだとお見受けします。家邉さんはKUMIHIMOには初めてのご参画とうかがいました。感想をお聞かせください。
家邉:共創の根源にあるのは“人”なのだと、今回のKUMIHIMOであらためて実感しました。どんなに知識や技術、ビジネススキルを持っていても、お互いに背中を預け合えるような関係が醸成されなければ、同じ目的に向かって共に進めなくなると思います。今回に関しては週1回のミーティングを重ね、また現場訪問をご一緒させていただくなど、お互いに人となりを深く知ることができました。こうした関係性を醸成できたのは、KUMIHIMOというコラボレーションの土台があったからだと実感しています。
阪上さんは、教育現場改革に対する思いが非常に強く、教員の方々からも絶大な信頼があります。「阪上さんがおっしゃるならやりましょう」と、阪上さんとの強固な絆が根底にあるからこそ、実証実験にご協力くださった学校もありました。
武藤先生からは、現場でどのように動くべきか惜しみなくアイデアをいただいています。さまざまなデータも積極的に取得してくださるので、非常に心強いです。疲労ストレス計の性能やクオリティもさることながら、共にする方々が各領域において全力で取り組んでくださっているからこそ、このKUMIHIMOを実行できていると思っています。
阪上氏:それは家邉さんも同様です。家邉さんは疲労ストレス計の社会的意義に対する洞察が深く、何より、愛情があると感じます。
武藤氏:阪上さんのおっしゃるように、家邉さんは疲労ストレス計に対する愛情が本当に深いです。これほど熱心に取り組んでいらっしゃる方はそういません。家邉さんもおっしゃっていましたが、私たちは週1回のミーティングを実施しています。これほど密度の濃い共創は他にはないですし、家邉さんをはじめチームの皆さんが本当によくサポートしてくださいます。
――今回の共創で得たナレッジと、今後の展望をお聞かせください。
家邉:先ほどお話した通り、一つは人との結びつきがいかに大事であるかということです。もう一つは“思い”が合致すること。三者とも現場で疲労やストレスに苦しむ人を何とかしたいという思いが根底にあり、取り組みを進めています。結果、通常では交わらないようなムラタと教育現場、アカデミアが三位一体となって共創することができました。今までにない取り組みにより、不明瞭だった現場の状況をつまびらかにできつつあると感じています。
この活動を通じて、皆さまがご自身や周りの方々に疲労やストレスがどれほど生じているかを認識していただき、ストレス・疲労を数値として把握することで、不調として実体化する前に対処する社会の実現に一歩でも近付けられたらと考えています。
阪上氏:教育現場におけるストレスの可視化は、まだ道半ばです。今後は疲労ストレス計を活用していただく学校に伴走して、その過程でストレス軽減の取り組みをサポートしていきたいですね。学校における職場環境の充実化が進んでいく様子を見られることを楽しみにしています。
武藤氏:どこの企業や組織にも必ず1台疲労ストレス計を設置する。そんな未来が来るといいですね。疲労ストレス計を用いた計測が、自主的なメンタルヘルス改善活動の普及とともに、法令で定めるストレスチェックの不完全な点を補い、さらに安全衛生活動を推進できる強力なデジタルツールとして広がっていく未来に期待しています。ムラタの電子部品を基礎として精緻なセンシング機能を備えたMF100が、より多くの方にご活用いただける時代が近いと感じています。
家邉:近未来の我々の付加価値だけでなく、社会実装を進めてストレスを可視化する潮流、「文化」の創造にも貢献したいですね。
ストレス学説を提唱したカナダの生理学者、ハンス・セリエは「ストレスは人生のスパイスである」と述べています。つまり、ストレスそのものは悪いものではなく、適度なストレスは人生を豊かにする一方、過度なストレスは心身の健康を脅かすということです。
疲労ストレス計を使って自分のストレスレベルをいつも把握できるようになれば、ストレスと上手に付き合っていけるのではないでしょうか。今回のKUMIHIMOによる三位一体の取り組みは新しい共創のあり方を提示するのはもちろん、さまざまな職場環境の改善を促す新たな一歩になりそうです。
阪上吉宏 氏
株式会社エデュテクノロジー 代表取締役
IT企業を経て、2007年、Appleに入社。教育部門の立ち上げメンバーとして多くの教育機関の「一人一台」端末導入に携わる。世界中の授業を見てきた経験・ナレッジを日本に還元すべく、2014年に株式会社エデュテクノロジーを創設。
武藤剛 氏
北里大学 医学部衛生学 講師
2007年、千葉大学医学部卒業。2014年、慶應義塾大学大学院医学系研究科修了。東京大学環境安全本部(客員研究員)、順天堂大学医学部衛生学(特任助教)、Harvard T.H.Chan School of Public Healthリサーチフェロー(日本医師会武見国際フェロー)、千葉大学予防医学センター(特任助教)などを経て現職。総合内科専門医・社会医学系指導医・産業衛生専門医・労働衛生コンサルタント(保健衛生)。日本予防医学会理事。