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企業の実利的なメリットを与える働き方改革とは?(前編)――身体の状態を「見える化」するヘルステックが成功のサイクルを生む

働き方改革を契機に、企業の「健康経営」が注目されています。健康経営とは、従業員の健康管理を企業の経営課題と捉え、会社の施策として健康増進を図る経営手法。経済産業省が「健康経営優良法人」の認定制度を設けるなど、国も施策を進めています。しかし、企業の事業や売上とのつながりを疑問視する声もあり、健康経営が進まない企業も少なくありません。はたして、そのメリットはどこにあるのでしょうか。また、推進する上でのポイントや課題は何なのでしょう。集団の健康管理を専門とする「公衆衛生学修士」の資格を持ち、健康経営を推進するアプリやサービスなど、ヘルステックの開発を行うリンクアンドコミュニケーションの佐々木由樹氏に話を聞きました。

健康経営と企業の実利は両立するのか?

ーー近年、健康経営という言葉がよく聞かれるようになりました。働き方改革の議論をきっかけに、従業員の健康管理を重要と捉える企業は増えた気がします。佐々木さん自身は、その変化を感じられていますでしょうか。

企業の注目度は増していると思います。その変化を顕著に感じられるシーンが、企業の採用活動ではないでしょうか。たとえば15年ほど前、転職先を選ぶ上で「報酬」や「待遇」がかなりの価値を占めていたと感じます。一方、近年の採用活動では、それらの要素もありつつ、労働時間をはじめとした「働く環境」が重視されています。企業の採用PRを見ると、その点を丁寧に説明している印象です。

働く人の価値観が変わったことも大きいでしょう。以前ほど所得を絶対視する人は少なくなり、「給料を増やすためなら長時間労働でも構わない」といった考えは減ったのではないでしょうか。働き方の価値観が変わる中で、健康経営に着目する企業が増えていると考えています。

ーー採用活動の面から意識の変化が読み取れるということですね。

はい。また、今は大手企業を中心にグローバルな規模で従業員を募集する時代です。さまざまな国の文化、ライフスタイルの人が入り混じって働いており、企業としては、世界の中でも特に労働環境の良好な地域、健康管理の手厚い地域を基準にする必要があるでしょう。実際に経営層の方と話していても、グローバルな基準に合わせようとする企業が多くなっています。

ーーでは、全体的に企業での健康経営が「進んでいる」と捉えて良いのでしょうか。

 

それが、そうとも言えません。確かに注目度は高まっているものの、実態として進んでいる企業と、そうでない企業の格差は広がっていると感じます。

取り組みが盛んだと感じるのはIT業界です。エンジニア職は、長時間労働やハードワークのイメージが強く、それが重荷となって採用に苦労するという悩みが企業から聞かれます。ハードワークの対価として高い給料を提示しても、現代の価値観とはマッチしにくい。そこで、健康経営に取り組み、その成果を採用活動でPRする企業が見られます。

一方、私は公衆衛生学修士の立場から企業の方に向けた講演を行っていますが、健康経営推進の難しさを感じるのが中小企業です。理由は人手不足で、健康経営の重要性は多くの企業が理解するものの、そこに割ける人や労力が少ないという声は多いですね。「言っていることはわかっても、他にやることがある」「人が少なくてそこまでできない」。こういった声がよく聞かれます。

ーー確かに、企業の規模や業種といった点も、健康経営の推進を妨げる要因にもなりそうですね。やはり売上や生産性といった“実利”が、健康経営とどれだけ結びつくかがポイントになりますでしょうか。

おっしゃる通りですね。健康経営に関する研究は1990年代から行われており、生産性や売上などとの関連を示した論文もいくつか出ています。有名なものは、ジョンソン・エンド・ジョンソングループが2011年に行った大規模な調査です※1。世界のグループ250社に健康教育プログラムを提供し、健康投資に対するリターンを試算しました。その結果、1ドルの投資に対して約3ドル分のリターンがあったと報告しています。

重要なのは、リターンの中に「生産性の向上」が含まれていたことです。欠勤率の低下やプレゼンティズムの解消により、生産性が上がると考えられました。そのほか、モチベーションの向上、先ほど話したリクルート効果もリターンに含まれています。

※1 ニューズウィーク日本版 2011年3月2日号 「儲かる『健康経営』最前線」

ーー先ほどおっしゃった「プレゼンティズム」について詳しく聞かせてください。

従業員が出社しているものの、何らかの体調不良で十分なパフォーマンスが発揮できないことです。風邪などの疾患だけでなく、メンタルの不調、あるいは花粉症や二日酔いなども含まれます。これまでは出勤することを価値とする風潮もありましたが、実はそれが企業の損失を招いているとも指摘されており、注目され始めています。そういったプレゼンティズムを減らす意味でも、健康経営が有効という結果が出ているのです。

日本でも、健康経営に関するレポートが近年増えています。日本経済新聞社と日本経済研究センターの共同運営であるスマートワーク経営研究会(※日本経済新聞グループによる「日経スマートワーク」プロジェクトの一環)による「働き方改革と生産性、両立の条件(2018年6月)」が一例です。

同会が健康経営の実施企業を調査したところ、ROA(総資産経常利益率)とROS(売上高営業利益率)の両方とも、健康経営を実施した後に上昇したそうです。また、健康経営の実施からおよそ2年後に企業業績が上がっている点にも着目しており、時間をかけて取り組む必要があると指摘しています。(※2

※2 「『スマートワーク経営研究会』最終報告 働き方改革、進化の道筋 〜生産性向上に資するテクノロジー、ウェルビーイング」

ーー時間はかかるものの、企業の業績と関連する可能性があるということですね。

はい。さらに直接的なメリットとしてイメージしやすいのは、人材定着率です。健康経営は働き方と密接に関連しており、推進すれば自然と良好な労働環境を築けます。労働環境に満足している従業員は、当然その職場に長くいたいと考えるでしょう。終身雇用制度が薄れ、人材採用コストや教育コストが上がることを考えると、人材定着の手法として健康経営はポイントになるはずです。

社員の心身の状態を「見える化」するために、ヘルステックを駆使。

ーー健康経営の有効性を示唆するデータが増えていることがわかりました。企業にとって実利的なメリットがありそうですね。

 

ただし、一企業が健康経営を目指す場合、実利的なメリットを掲げて従業員に健康管理を働きかけるのは得策ではないでしょう。これは、健康経営が浸透しない企業にありがちな問題でもあります。

従業員の立場を想像してみてください。経営者や責任者から「生産性を上げるため」と健康経営を勧められても、従業員は「会社のために健康にならなければならない」といったイメージを抱くかもしれません。言葉は悪いですが、会社に使われている印象が強くなります。その言い方で従業員が健康を志すでしょうか。

働く個人が、会社の生産性を上げるために健康になろうとは思いにくいでしょう。生産性の向上はあくまで経営者が頭の中に持つ戦略であり、従業員に対しては別の言葉で目的を伝えなければ浸透しにくいと思います。

ーーでは、どのように伝えれば、社員は自ら取り組むようになるのでしょうか。

難しいところですが、あくまで従業員一人一人が楽しく働くために健康経営があるという位置付けです。心身を健康にするのは会社のためではなく、個人が楽しく仕事をするためという考え方です。

だとすると、健康になった先の「楽しさ」は人それぞれ違うはずです。健康になって明るい雰囲気で仕事をしたい人もいれば、健康的な生活によりストレスを減らして働きたい人もいるでしょう。もちろん、その中に「(健康になって)個人の売上を伸ばしたい」といった、生産性につながる目的の人がいても構いません。大切なのは、健康の先に見据えるゴールは人それぞれ異なることです。その前提で企業は健康経営を進めると良いのではないでしょうか。

ーー健康経営を始める上では、個人が自ら目的意識を持つ点がポイントになるのですね。

はい。実際、健康経営で成果を収めている企業は、こういった考えが多いと思います。たとえばある企業は、健康経営の基本軸を「セルフケア」に定め、あくまで従業員一人ひとりが自ら主体的に管理する形を取っています。企業は、従業員の健康を支えるサポート役の位置付け。ただし、そのために産業医を多数配属させ、個別面談の機会を取り入れるなど、徹底したサポート体制を築いています。

押し付けではなく、社員の主体的な健康管理とそれを支える企業という形です。全国に3,000人以上の従業員がいる大企業ですが、労働時間を劇的に削減するなど、成果が出ています。

ーーでは健康経営を行う場合、具体的にどんな計画を立ててスタートするのでしょうか。

ポイントになるのがKPIの設定です。この場合のKPIとは、健康経営の進捗状況を測る数値です。ただし、繰り返しますが生産性や売上などをKPIとするのは得策ではありません。従業員のモチベーションにつながらない可能性がありますし、何よりこれらのKPIはさまざまな要素で変化します。たとえば、「ヒット商品が生まれて売上が急激に伸びた」、あるいは「景気動向が上向いて注文数が増えた」といった要因で生産性が上がることも考えられます。その場合、健康経営だけの影響とは言い切れないでしょう。

ーーでは、どんなKPIを設定するのが有効でしょうか。

 

心身の細かなデータの変化をKPIにします。近年、体重や脈拍、1日の歩数などの状況を細かく可視化できるヘルステックが増えています。身につけているだけで心身のデータを取れるウェアラブルデバイス、1日の行動や食事メニューを打ち込むと栄養状態を分析するスマホアプリなどがその代表です。ここから取れるデータを分析すると、数ヶ月でも明確に変化が現れることが多数あります。

ですので、こういった数値をKPIに定めます。BMI値が高いのか、栄養に偏りがあるのか、1日の活動量が少ないのか、睡眠の質が低いのか。まずは課題を見つけなければ、対処の方法、効果を測定するKPIも設定できません。この観点でも、ヘルステックの活用法が重要になります。

佐々木由樹(ささき・ゆき)

公衆衛生学修士(MPH)、管理栄養士。2003年、女子栄養大学 栄養学部卒業を卒業し、2005年に管理栄養士の育成・支援を行う株式会社創健ピーマップを設立。2014年には東京大学大学院 医学系研究科公共健康医学専攻を卒業。同年に株式会社リンクアンドコミュニケーションに入社し、事業開発マネージャーとなる。2019年には、同社が新設したCPHO(Chief Public Health Officer:最高公衆衛生責任者)に就任。公衆衛生学修士や管理栄養士としての専門性を活かし、ヘルステック開発や講演を行う。著書に『管理栄養士・栄養士のためのやさしく学べる!EBN入門 健康情報・栄養疫学の理解と実践に向けて』(講談社)がある。
https://www.linkncom.co.jp/

企業にとって生産性向上や持続可能な活動が経営課題となっています。疲労ストレス計は医師監修の評価基準で「疲労」「ストレス」を客観的に見える化し、社員の疲労・ストレス管理をサポートします。

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